菜の介店主の軌跡

根っからの京都嵯峨野嵐山の人

1957年に生まれ、嵯峨嵐山の風情のある町で元気すぎるほど元気に育ちます。

幼少期より自然が大好きで、友達多くを引き連れて毎日ドロドロ、服はボロボロになるまで遊ぶほどのやんちゃ坊主でガキ大将。

時には悪さやいたずらなんかも・・・。

そんな幼少期に生涯的に続けていくことになる魚釣りに出会います。

嵐山付近の川や池では釣り三昧!時には竿を使うことなく手づかみで魚を追いかけることもあるほどの魚好きな少年でした。

器械体操に燃えた学生時代

嵯峨嵐山の地元の中学校に進んだまだまだやんちゃな少年は飛んだり 跳ねたりが楽しそうな器械体操部に入部します。

ところが飛んだり跳ねたりといった楽しいイメージはまったくなく、硬い体をやわらかくする過酷な柔軟や、筋力アップのための肉体補強など毎日つらく厳しい練習の日々。

しかし、このころから何かひとつのことをこだわり追求する姿勢と誰にも負けたくないという信念を持っており練習に練習を重ね、中学体操部を率いるキャプテンとして活躍するほどまでとなりました。

その後スポーツの名門である洛南高校体操部に入部することになります。が、当然ここでも地獄のような練習の日々が続きます。

今思い出しても冷や汗が出るほどのきつい練習です。それでも耐え抜き洛南高校体操部のエースとして活躍し、そのまま中京大学の体操部へ進学となります。

思わぬ怪我と人生の転機

中京大学進学後も体操部で選手として活躍していた正樹でしたが、中高学生時代からたび重なる怪我を重ねてきた体はボロボロ、そんな中さらに肩の大怪我をしてしまいます。つらいリハビリ生活を余儀なくされました。ボロボロになった体でのリハビリ生活の中で心の中にはもうすでに新たな目標が出来ていました。

それは「料理人になる」という新たな夢でした。

京料理職人への挑戦と修行の日々

この目標のため、大学を中退し京都に帰郷。調理師免許を取得し、寿司職人として修行の日々をスタートさせることになります。

ここから8年近く厳しい修行の日々が続きましたが、学生時代の体操競技で身につけた忍耐力と精神力で乗り越え、数々の京料理、寿司、割烹料理店での勉強と料理技術を身につけていきました。

少年のころから親しんできた釣りにも力を入れ、海・川の天然の魚、新鮮な魚の研究にも没頭する毎日となります。

京料理職人への挑戦と修行の日々

厳しい修行を経て、ようやく丸太町通り沿い嵯峨小学校前に寿司一品料理店の自分のお店を開店します。

役8年間、寿司一品料理割烹料理店としてお客様に喜んでいただける料理を提供し続け、35歳で現在の場所に移転し「おばんざい割烹菜の介」として店舗を構えました。

それから今で20数年になりますが、素材にこだわり、味にこだわり、水にもこだわり、こだわることにこだわるという基本姿勢はこれからも変わることはありません。

魚は自分が釣ってきた天然の新鮮なものか、自分で仕入れた新鮮なもの、食材も自分で厳選します。水にもこだわり60mの井戸掘って採取した水を使って料理し、本当においしいものだけをお客様に食べていただく。

これこそが菜の介の料理です。そして信念なんです。

嵯峨嵐山付近にお立ち寄りの菜には是非このこだわりの味をご賞味くださいませ。心よりお待ちしております。